Thursday, April 21, 2011

さくぶん2:はらわなかった五十セント

さくぶん2:はらわなかった五十セント

私の思いでははらわなかった五十セントについてです。去年の夏休みに中国へ帰りました。そして、一週間祖父と姉とユンナンへ旅行にいきました。ユンナンではきれいなけしきやおもしろいぶんかがあって、たくさん少数民族(しょうすみんぞく, Ethnic Minority)の人がいます。たとえば、チベット人がユンアンのシャングリーラにたくさんいます。

あるひ(one day)シャングリーラで旅行をしていたとき、トイレへいきたかったです。シャングリーラのトイレはアメリカのとおなじじゃありません。いくらぜんぜんきれいじゃなくて、べんりじゃなくても、おかねがいります。わたしがいたトイレのオーナー(owner)はチベット人のおばあさんでした。でも、おばあさんのトイレにはいるまえに、おばあさんが“ちょっとまって!一円はらわなければなりませんよ”と言いました。しかし、一円がありませんでした。わたしは“すみません、五十セントだけあります。あとでもう五十セントはらってもいいですか”といいました。おばあさんは“いいよ”といいました。

そして、トイレをでて、姉が五十セントを貸してくれました。でも、おばあさんのトイレへ五十セントをはらうまえに、おばあさんは“かえって!はらわなくてもいいです。ザシデレー”といいました。 “ザシデレー”は英語でBless you, good luckです。でも、どうしておばあさんはしゅくふく(blessing)をくれましたか。はらわなかった五十セントだけからですか。わたしのかんがえ(thinking)は一円もはらわなかったひとがたくさんいるからです。それで、わたしは五十円だけはらいにいくとき、おばあさんがうれしくなったとおもいます。

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